あとがき

お宝発見から一ヶ月たっての感想をすこし

まずは反省点

一つ目は考え方として直接的に問題から一箇所を特定しようとしたのがまずかった。
信の神代のように3箇所候補地があるときに直接問題との整合性から一箇所に絞っていくことを考えたために金切神社を本命としてしまったが、他の問題と相対的に考え場所的な見地から都合の良いところを候補地としておけば出雲大明神を本命として導けたかもしれない。
稚児の問題も同じで候補地が多い場合都合のいい場所を他の問題との都合から強引に導いておけば、あるいは出雲池が候補地に挙がっていたかもしれない。

二つ目が思い込みだ。
3本の直線が地図上で交差して一点を示すことはありえないと思っていた。
なぜかというと特定の地図上でないとありえないということと、3本が交差する意味がわからないからだ。
交点の一点を示すのであれば線は2本でいいから残り一本(2問)の意味が無くなる。
だから3本の直線が必要ということはその3本(以上)の線に囲まれた範囲の中にピンポイントがあるものだと考えていた。

三つ目が作者のこだわりがわからなかったということ
題名の「神迎え」ということから神楽の「神迎えの舞」を本線に考えていた。
「注連縄の結界」「六角天蓋」などがその根拠だが、作者が”出雲”の神在祭にこだわっていたとはさほど考えていなかった。
だから地名にたまたま「出雲○」と名前が付いているのを見ても問題と関係が有るようには感じとられなかった。
表彰式の時に聞いた話だが、Kさんはヒントの「島根3回」というのを見た際、すぐに出雲大明神と出雲池が特定できたそうだ。
これにはびっくりした。

今回の「かわたれの神迎え」は作り手の思い入れがずいぶん入ってる問題だったと改めて感じている。
タイトルから4本の注連縄・出雲そして新井原市へのメッセージ。
陰陽五行・3という数字・線の形へのこだわり。
終わってみて解説を読んでみると、解いている時に気付かなかった”出雲”という字とか”3”という数字とかによる作者の明確な意思が伝わってくる。

逆にこれに対して犠牲になっているのが(僕が一番疑問に思っていたことで作者も書かれたことでもあるが)
「宝を探すには最後の信の問題の4箇所とピンポイントを示す1行の計5問だけを解けばよく、他の14箇所の問題は宝と無関係だった」
ということが思い浮かぶ。
昨年の吉備伝2もそうだったのだが、参加者を翻弄し井原市内(岡山県内)をあちこち動き回らせておいて、結局お宝と関係ない問題だったというのでは、一部からクレームが出てもおかしくない気もする。

このあたりがこういったイベントの難しいところで、いきなり信を出題してすぐ終わってしまったのでは主催者も困る。
時間を引き延ばす必要があるということだ。

昨年の井原は1〜4の骨は5の骨を導く為のヒントに明らかになっていたからその点では納得が行く。
今回の謎のどこかに結界の西の方角に宝があるという問題と禄所の内の2箇所は偽だという問題(たとえば稚児と年寄りは嘘だとか)が含まれていたのならば、謎全体がきれいに繋がってくると思うのだが、僕の独りよがりだろうか・・・
生意気で申し訳ない。
 

グループを組んで参加しているメンバーは別として、僕は本来ハンターにとって周りは全て敵だと思っている。
サロンに行ったりチャットで話をしたりするのはあくまで情報のギブアンドテイク。
いくら仲良くしていても本人が肝心だと思ってるところはなかなか教えないし教えてもらえない。
それが当たり前だと思う。

でも今回僕は初めて表彰式を体験し(一般参加も含め)ハンター同志の暖かい気持ちに触れた。
旧”ほらguys”のメンバーでさえ本音はみんな悔しいと思っているはずなのに、素直に暖かく祝ってくれる気持ちが本当にありがたかった。
ハンター仲間というのは本当にいいもんだ。
 


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