日本最古の湯ってどこ? (2012年5月10日改訂)
先日温泉にいったのだが、そこにあった「日本最古の湯」という宣伝文句が気になった。
他の場所でも同じ日本最古という言葉があるのを見かけたことがあるからだ。
実際ネット検索してみるとずいぶんたくさんの温泉が「日本最古の湯」もしくは「日本最古の温泉のひとつ」などと銘打ってPRしている。
だいたい「最古」って言葉自体”Only One”じゃないといけないのに何箇所もあるなんておかしいし、「最古の湯のひとつ」などと下手な英語の直訳みたいな言い方をちゃんとしたメディアがすること自体情けない限りだ。”日本語を勉強しなさい”といいたくなる。
というわけで、調査結果をご紹介したい。
まず、最古の温泉といっても温泉が「お湯が地上に沸いて出ていたところ」という定義では何億年も昔に遡って地質学の研究をしないといけなくなる。
また、サルや熊や鶴、もしかしたら大蛇がお湯に入っていたというだけでは温泉とはいえない。
ここで「温泉」とはあくまで「人間が入って利用していたもの」であって、最古の温泉とは「人間が利用していた記録や言伝えが残っているもののうちで一番古いもの」ということになるだろう。
ネットで調べていくと、まず引っかかるのが「日本三古泉」という言葉。
「道後温泉」「有馬温泉」「白浜温泉」の3つのことを言う。
この3つの温泉はいずれ劣らぬ日本最古の温泉の宣伝バトルで、特に「道後温泉」「有馬温泉」は譲らないようだ。
まずは「"日本最古"」と「○○温泉」とのgooでのHIT数はこうだ。(2005.3.20現在)
温泉名 HIT数 道後温泉 1,020件 有馬温泉 581件 湯の峰温泉 263件 白浜温泉 187件 湯河原温泉 111件 武雄温泉 103件 別所温泉 100件 玉造温泉 95件 飯坂温泉 91件 粟津温泉 62件
重複した数だから有名な温泉が絶対有利だが、まずは道後温泉が宣伝では一歩リードか
さて、実際にその年代を見てみるとこうだ
温泉名 年代 内容 道後温泉 神代
or
12代景行天皇
(71〜130)
or
435年出雲の国の大国主命と小彦名命が伊予の国を旅したとき、急病に苦しむ小彦名命を入浴させるとたちまち元気を取り戻し、喜んだ命は石の上で踊りだした。(伊予国風土記逸文、江戸時代)
軽太子が近親相姦の罪で伊予の湯に流された(古事記)
景行天皇と后、仲哀天皇と神功皇后、596年には聖徳太子が僧恵慈らを従えて道後温泉に来浴した(伊予国風土記逸文、江戸時代)
舒明天皇(639)・斉明天皇・天智天皇・天武天皇が行幸した。(日本書紀、720年)玉造温泉 神代
or
714年頃大国主命とともに国造りした少彦名命が発見した。(不明)
「一度浸かれば見目麗しく、再び浸かれば万病に効く湯」として親しまれていたことが出雲国風土記に記されている(出雲風土記、714年)有馬温泉 神代
or
631年大己貴命(大国主命)と少彦名命の二神が三羽の傷ついた鳥が湧き出した泉で傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したのが始まり。(不明)
舒明天皇(631年)や考徳天皇が行幸した。(古事記:712年、日本書紀:720年)別所温泉 12代景行天皇
(71〜130)景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の時、霧が立ち込める保福寺峠であった老翁に「この山中に七つの湯が湧きこれが人々の七つの苦を助ける………」と教えられ、尊が山中を捜すと七つの出湯があり、遠征中の兵士の苦を癒すことが出来「七苦離の湯」と名付けた。(不明) 飯坂温泉 12代景行天皇
(71〜130)2世紀に日本武尊(ヤマトタケル)が東征のときに左波子湯に浸かって病気を治したという伝説がある。(不明) 湯の峰温泉 13代成務天皇
(131〜190)成務天皇の御代、後の湯屋権現である大阿斗足尼(熊野の国造(領主))が発見し、その場所(東光寺)に湯屋を立て熊野本宮大社の潔斎場とした。(旧事本紀:巻十国造本紀、806〜936年)
また浄瑠璃などで知られる小栗判官が蘇生した(1415)というつぼ湯が現存。2004年わが国唯一の世界遺産登録の温泉となる。白浜温泉 658年 大化改新の後まもなく、有馬皇子(640-58)が斉明天皇と中大兄皇子(のち天智天皇)に牟婁の湯への行幸を勧め、その間に謀反を企てたという冤罪で自殺に追い込まれたのは658年。(日本書紀)
今も往古ののままだという露天風呂が海岸(湯の崎)に湧いていて、「日本最古の露天風呂」と称される。武雄温泉 714年頃 郡(こおり=武雄があった地域)の西の方に温泉の出るところがあるが、岩がとてもけわしいので、人があまり行かない」との記載あり。(肥前風土記、714年頃) 粟津温泉 718年 718年(養老2年)に白山を開山した名僧、泰澄(たいちょう)大師が夢のおつげにより発見した。(泰澄和尚伝記) 湯河原温泉 759年 万葉集にここの温泉の歌が記載されている。(万葉集、759年)
調べた順ではこのように、神代の時代に大国主命(オオクニヌシノミコト、大己貴命)により発見されたというものが「道後」「玉造」「有馬」の3箇所あることがわかった。
但し、こういった話は他にも日本中たくさんある可能性がある。
まず現代の歴史解釈では神武天皇(初代)から開花天皇(9代)までの天皇は架空の天皇だといわれており、10代の崇神天皇以降が実在の人物ということになっている。
したがって、9代より以前の話(スーパーマンや怪獣が出てきたりするような神話)は架空のものとして除いて考えたほうがいいだろう。
また、その伝説の出所が明らかでないものは後付の話の可能性が高いので無視して考える。
というわけで、歴史書に記載されている神代以外のものだけを抽出してみる。
順位 温泉名 年代 歴史書 1位 道後温泉 景行天皇行幸
(71〜130)伊予国風土記逸文(江戸時代) 2位 有馬温泉 舒明天皇行幸
631年日本書紀(720年)、古事記(712年) 3位 白浜温泉 斉明天皇行幸
658年日本書紀(720年)
というようにやはり道後温泉が最古ということになる。
「なんだ、やっぱり道後温泉が最古の温泉なのか」と思われる方もいるかもしれないが、多少このままでは疑問点がある。
というのも、「伊予国風土記」というのが江戸時代に書かれたものだからだ。
風土記は713年に朝廷から各国に撰進の詔がでて収集されたものだが、当時のものが完全な形で残っているのは「出雲国風土記」のみで、ある程度が残っているのが「常陸国風土記」「播磨国風土記」「豊後国風土記」「肥前国風土記」の4つ、その他のものは「伊予国風土記」を含め逸文として江戸時代頃から収集されたものだ。
つまりここに書かれている景行天皇の行幸は江戸時代に1000年以上も昔の話を書いたことになり、相当信頼性が低いというのも頷ける。
それを加味して訂正すると
順位 温泉名 年代 歴史書 1位 道後温泉 軽太子が伊予の湯に流される
435年古事記(712年) 2位 有馬温泉 舒明天皇行幸
631年日本書紀(720年)、古事記(712年) 3位 白浜温泉 斉明天皇行幸
658年日本書紀(720年)
ということでやはり道後温泉が最古ということで変わらない。
ここで出てくる「軽太子(かるのたいし)」は19代「允恭(いんぎょう)天皇」の皇太子だが、同じ母を持つ妹の「軽太郎女(かるのおおいらつめ)」と許されない恋に落ち、これが見つかったために伊予の湯に流され心中したという話。日本最古の近親相姦&心中事件のことが古事記に記載されている。
当時は父が同じで母が違う場合は結婚できたらしいが、逆は許されなかったようだ。
というわけで、史書を追ってもやはり道後温泉が最古となるが、結局避けて通れないのがこれらの歴史書の信頼性だ。
ただ、この「伊予国風土記」の中では景行天皇の行幸については怪しいとしても、聖徳太子の件については明確に596年と記載されているとこからみて、それなりに事実があったのではないかという印象も受ける。
なお、あえてもう一つの言い方を付け加えると、「正史」ではどこが最古かという解釈がある。
日本の正史(国家が正式に認めたもの)というのは一般的な解釈では「日本書紀」であって「古事記」「風土記」は含まれない。
そうすると「正史をみると日本最古の湯は有馬温泉」となるわけだ。
ただし、「正史」=「国家によって編纂された歴史」であり、古事記は元明天皇の命を受けて太安万侶が撰録したもので風土記も前述の通り。
正史という言葉に古事記・風土記を加えていいのかどうかというのは学者の方々に任せるとして、現実的にこの3つの史書の信頼性にさほどの差はないと考えられているので今回は正史という言い方は無視する。
さて、語り継がれてきた伝説に目を向けてみるとどうだろう
別所温泉と飯坂温泉の「日本武尊」が発見したという話は他所から侵略にやってきた後世の英雄が旅行中に偶然見つけたというのはあまりにも出来すぎているので信憑性に乏しいと思う。
おそらくかなり後から作られた話だろう。
これに対し湯の峰温泉の「大阿斗足尼(おおあとたじのすくね)が発見し、その場所(東光寺)に湯屋を立て熊野本宮大社の潔斎場とした」という話はどうだろう。
実は僕はこの話、かなり信憑性の高いものだと思っている。
理由としては
これだけの状況証拠があると、湯の峰温泉については歴史書に直接記載が無くても、まず13代成務天皇時代(131〜190)※2に発見されたというのは正しい言い伝えではないかという印象を受ける。
- 「大阿斗足尼」は「旧事本紀」※1によれば大和朝廷から遣わされた実在の国造(領主)で実在の人物。
- 当時の国主が見つけたというのだから、現実的に多少発見者が違っていてもそういう言い方になっていて不自然ではない。
- 湯峰に「大阿斗足尼塚」が現存する。
- 「大阿斗足尼」は湯屋権現(湯野権現、温泉の神様)と言われるが、全国の温泉で湯屋権現ないしは熊野権現(熊野神社)が温泉の神として祭られていることを思うと、それより前の時代から湯野権現(熊野神社)が温泉の神として全国に認められているということになる。
- 熊野大社は出雲大社とならぶ日本最古の神社だが、この熊野三山は12代景行天皇(71〜130)の時代からの歴史があり、湯の峰温泉は熊野古道の湯峰王子として遅くとも平安時代には熊野三山巡拝を終えた貴族らが訪れる湯垢離(ゆごり:身を清める)の場となっていたということが記録に残っている。
- 「第十六代仁徳天皇の御代(313〜399)に、裸行上人という印度から渡来した大徳あり、熊野三山苦行の砌り、霊夢によりこの地に来り、この湯の花化石薬師如来の尊像を感得せられ、一切衆生の病苦を救うために、ここに尊像の周囲に草庵を結び、東光寺を開基せられた。」という言い伝えが残っている。
つまりここにも裸行上人というマイナーな人物が登場し、東光寺に現存している「湯の胸薬師」の話が登場する。
結局僕の意見としてはこうだ。
- ※1 「旧事本紀」は序文に「蘇我馬子」「聖徳太子」等が天皇の命を受け編纂したものであると書いてあるにもかかわらずその時代以降の記述があるがゆえ、江戸時代に偽者だというレッテルがはられたという歴史があるのだが、古事記・日本書紀に記載されていない系譜等の重要な内容が含まれており、現代では重要文書として見直されつつある。
- ※2「成務天皇」の在位期間は宮内庁による発表では(131〜190)となっているが、考古学上ではもっぱら4世紀後半(350〜)の天皇であり、さらに仁徳天皇は5世紀後半(450〜)の天皇ではないかと考えられている。
順位 温泉名 年代 歴史書 1位 湯の峰温泉 大阿斗足尼発見
13代成務天皇(131〜190)旧事本紀:巻十国造本紀(806〜936年)に大阿斗足尼が登場 2位 道後温泉 軽太子が伊予の湯に流される
435年古事記(712年) 3位 有馬温泉 舒明天皇行幸
631年日本書紀(720年)、古事記(712年)
以上のように歴史書の評価のしかたや信憑性によって、「道後温泉」「湯の峰温泉」は日本最古の湯となりうることができる。その他の温泉は「日本最古」と言っても根拠のないあやしいものだといえそうだ。
ただし、まだ追加がある。
「現存する(今も入れる)日本最古の湯(湯船)」という言い方だとどうだろうか。
道後温泉も有馬温泉も当時の湯船がそのまま残っているわけではない。
これについての調査結果は今回わかったものだけだが
現存する最古の湯船 順位 温泉名 年代 歴史書、備考 1位 白浜温泉
崎の湯斉明天皇行幸
658年「日本書紀」、当時のままだという話だ。
豪快な波打ち際の露天風呂2位 妙見温泉
和気湯和気清麻呂入湯
700年代後半個人所有の露天風呂で開放してある。出所は不明 3位 湯の峰温泉
つぼ湯小栗判官伝説
1423年「鎌倉大草子」その他多数。
唯一の世界遺産登録の温泉。一日に7回色が変わるという話。
と、いう3つの湯船が見つかった。
「日本最古の湯舟」という言い方だと圧倒的に「白浜温泉(崎の湯)」が日本最古となるのだ。
崎の湯 つぼ湯 海側の湯船は満潮時に波が入ってくるので爽快。でもそのときは冷たいかも、逆に満潮の前は熱目とか。写真は男湯
白浜温泉の湯は硫黄の香りがして飲むと少し塩辛く、ややぬるぬるした感じだ。二人程度しか入れないサイズの湯船だ(家族風呂)。予約して30分制となっている。
自然放置だと熱すぎるので水でうめられるようになっている。火傷しないように注意が必要。和気湯 川のすぐ脇にあり、湯船の底からブクブクとお湯が沸いてくる。お湯は少し濁っていて、湯温は低めだ。(無料)。
近くに和気神社があり、さらに坂本龍馬が新婚旅行でお龍と訪れたという犬飼滝もある。
ついでにもう一つ
「日本最古の温泉宿」という言い方をするとどうなるか
実はこれはギネスブックに登録されている。
ついこの前まで718年霊峰白山開山の祖である泰澄大師が開湯したという北陸、粟津温泉の「法師」という宿だったのだが、2011年6月、山梨県南巨摩郡早川町の「西山温泉・慶雲館」という宿に記録が塗り替えられた。
こちらは藤原鎌足の長男・藤原真人(ふじわらまひと)により、慶雲2年(705年)に発見されたとのことだ。
今回の結論
日本最古の温泉は
史書の記載内容をみると 道後温泉 実際に最古だと考えられるのは 湯の峰温泉 最古の湯船は 白浜温泉「崎の湯」 最古の温泉宿は 西山温泉「慶雲館」
ということになる
この4箇所の温泉については「日本最古の温泉」と名乗っても僕は納得できる。
これ以外の温泉はひょっとすると思い込みの可能性があるかも。
※ 何か新情報があれば訂正も考えますのでお便りください。