広響第12回福山定期公演を聴く
 

”ブラームスの夕べ”


http://rafule.com/hso/index.html
 
広島交響楽団の第12回福山定期公演を聴きにリーデンローズに行ってきた。

 広響を聞くのは今回で4回目。
昨年末にあったベートーヴェンの第9の演奏(第11回)は多忙で聞きに行くことが出来なかった、ということもあり、さらに今年は曲目にブラームスの4番が有ると聞いたものだから、今回は是が非でも聞かなきゃいけないと、早くから最高の席を予約していたのだ。

実はこのブラームス交響曲第4番は僕にとって好きなクラシック曲の中でも筆頭となる曲だ。
CDだけでも演奏家違いで10枚以上は保有している。
なぜ好きなのかといわれても説明はうまく出来ないが一例をあげると、渋いブラームスの曲の中にあってコーダ(最後の部分)の盛り上がり方が最高に素晴らしい。特に1楽章と4楽章はたまらない。

また広響・秋山ペアは第10回福山定期のベートーヴェンのときに素晴らしい演奏を聞かせてくれているし、特に去年から今年にかけて広響はブラームスをメインに取り上げて演奏活動を行っていて、ブラームスに対する円熟味も増していることだろう。
というわけで大いに期待して出かけたのだった。

さて会場時間は6:30。少し早めにリーデンローズに着いた。
コーヒーを飲んで時間を潰し、開場時間となったので大ホールの中に入ってみる。
席は11列のR4番。中央の一番いい音のするあたりだ。

開演時間が近くなり、後ろを見回してみると客の入りが随分少ないことが気になった。
1Fの半分以上埋まってない感じ。2Fもパラパラだ。
これでは500人をひょっとしたら切っているかもしれないと思った。
前々回の10回定期のベートーベンの時よりもさらに少ないような気がする。
ブラームスがベートーベンに比べて人気が無いのか、それとも福山市のクラシック音楽熱が低下しているのか、景気が悪いせいか・・・少し悲しくなった。

プログラムは
第一部
・ブラームス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調
  Vn.田野倉政秋、Vc.マーティン・スタンツェライト
第2部
・ブラームス 交響曲第4番ホ短調

ダブルコンチェルトのソリストはいずれも広響の首席奏者の方だ。

一部が始まった。
コンサートでブラームスのダブルコンチェルトを聴くのは初めての経験。
チェロとバイオリンの掛け合いの面白さを生で感じることが出来るのが嬉しい。
ソリストのVnの音がとても奇麗だったのが印象的
そしてそれより広響の弦のパートがとても良く鳴っている。

待望の2部が始まる。
このブラームス最後の交響曲は最初の4小節を聞けば、ほとんど演奏の方向性がわかるといっても過言ではない。この4小節を聞いて秋山&広響の演奏はまさにロマン派を感じさせる演奏だということがわかった。
ため息のような音のうねりを感じるフレーズ。僕はそこからどんどん広響の繰り出す音のうねりに飲み込まれていった気がする。
ブラームスは古典派とロマン派の境にある作曲家で新古典主義とも言われているのだが、演奏も大きな意味で2種類のアプローチの方法がある。今回の演奏はそのロマン派的な方の演奏だ。
クラオタ的な言い方で説明すれば、CDのクライバー・ウイーンフィル盤の演奏に近いイメージといったらいいだろうか。(僕はヨッフム・BPO盤、フルトヴェングラー・BPO盤が一番好き)
一楽章の怒涛のコーダ。2楽章・3楽章では木管がとても気持ち良く鳴っている。ホルンも巧い。4楽章のパッサカリアもロマン的。
演奏を聴いていて久しぶりに鳥肌が立った。

広響は想像以上に弦が良くなった。昨年ベートーヴェンを聞いた時は抑制されたイメージがあり鳴りが悪い気がしていたのだが、今回は音色も音量も素晴らしく潤いが以前とまるで違う感触を受けた。
これは今回良い座席で音楽を聴いたというだけの理由では決してない。正直広響がとても進歩していてこのままCDをレコーディングしても相当売れるのではないかというほどの印象だった。
僅かに気になったのはピアニッシモであって欲しい部分がなりきれてなかったことと、ティンパニがもうちょっとだったってことくらいで、全体としては超満足のいく演奏。
広島県にこれだけの演奏が出来るオケが有ると言うのは我ながら誇りに思えてくる。
秋山さんの功績も大きいに違いない。

アンコールはブラームス、ハンガリア舞曲第1番
これもアンコールピースとしてぴったりでなかなか魅せてくれた。

コンサートが終わり高ぶった気持ちのまま帰りながら考えた。
広響は財政難の中、確実に進歩して行っている。
これからもさらに秋山音楽監督のもと進化し続けるだろう。
これに対して福山で聴衆が集まらないのがなんといっても一番気がかり。
50万都市で地元(中国地方)唯一のプロのオケによるクラシックコンサートが通常よりずっと安い金額で開催されて、それを聞きに来るのが僅か500人しかいないというのは寂しい限り。
福山に音楽文化がなかなか根付いていかないということになる。
これらの責任はどこにあるのか、これらを少しでも良くするにはどうすればいいのか、
大人がちゃんと考えないといけない問題だ。